2012年1月27日金曜日

『サラの鍵』〜Elle s'appelait Sarah

久しぶりに映画を観に行った。
折角還暦を過ぎてシニア料金になったのに、全然行っている間がない。

今回は以前から観たかった『サラの鍵』
  原題は"ELLE S'APPELAIT SARAH” 彼女はサラといいます

鑑賞中にきれいだなあ〜と印象に残ったシーンが、ポスターやパンフに使われていました。
『命に続く黄金の道なき道』みたいに金色に輝いていました。

1942年、ナチスの占領下のパリでこんなことがあったとは全く知りませんでした。フランス人によるユダヤ人検挙。
『ライフ・イズ・ビューティフル』とか『ソフィーの選択』とかホロコーストを扱った色々な作品を観たけれど、フランス人の間でもこういうことがあったのは初めて知りました。戦争の傷跡は本当に大きい。

一番の印象は、主人公のサラの子供時代の女の子 "メリジューヌ・マヤンス"の好演。本当に素晴らしかった。 検挙の当日、まだ小さな弟を守るために、直ぐに迎えに来れるものと思って、「私が来るまで絶対にここを出ては駄目よ」と約束をさせて、鍵をかけてクローゼットに隠すのだけれど、そのまま両親とともに検挙されてしまい、戻って来れなくなる。

サラはその鍵をずっと握りしめながら「弟を助けに行かなければ」その思いだけで時が流れていく。収容所で両親と離されてからも、とにかく弟を助けに行かなくちゃ、と脱走をする。
弟を助けるために必死で生きるのだけれど、たどり着いた時には結局弟はクローゼットの中で死んでいた。

私はずっと弟は生きていたのかもと思いながら希望を持っていたけれど、駄目だった。

取材しているクリスティン・スコット・トーマスの現在のパートには少々違和感があり、馴染めないとこともあったが、素晴らしい作品だった。

逃走中のサラを助けてくれた老夫婦の素晴らしさが忘れられない。あのおじいさん(ニエル・アレストリュプ)、いいなあ〜

あの時代に自分がいなくて良かったと思ったと同時に、今でも人々の心の中では戦争が絶えず、心の傷を負うことだらけなのだなあ、と特に夫の父親との確執を見ていてそう思う。
まるで現代版個人版ナチスだ。

私は平和がいい、食べるに困らず、強く、逞しく、優しく、弱く、もろく、人のせいにしない・・・そして温かく・・・仲良く

結婚は、結婚相手と自分の問題と思って結婚したが、やはりこの歳なので、まだ『家』に嫁ぐという感覚が強く残っている家に嫁いでしまった悲劇。自分は長い戦いの末、やっと意識が解放されたが、夫は未だ解放されてない。まだまだ戦いが続く。悪しきものは自分の手で断ち切らないと、子供たちまでそして、自分に責任がかかっている人々にまでが悲劇に巻き込まれる。

勇気が必要。
必死で弟のために走り続けるサラのように。たとえその先にあるものが惨い死だったとしても。
それをしない自分を許すことができないから・・・まだ生きているかもしれない限り


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