2012年5月5日土曜日

『コレラの時代の愛』 〜El amor en los tiempos de cólera


"El amor en los tiempos de cólera"



ガルシア・マルケスの作品の映画化だ。

スペイン語の冬講座でハビエル・バルデムをやったときにも出て来た作品だが、彼の年代に応じての変化は実に見事だ。変化自在の役者にはピッタリの役柄だったかもしれない。しかし、残念ながら英語だったので、授業ではあまり話題にはならなかった。

まだ、原作を読んでないので、映画とのずれがどんなか分からないが、51年もの間一途に一人の女性への愛を貫き通したフロレンティーノの姿には、何だか男のロマンのようなものを感じる。
しかしフェルミーナにふられてから、身を引いて表には現れなかったものの、一種ストーカー的行為を50年以上も続けていたのではないか?と言った犯罪めいた奇妙な感じを持つのは私だけだろうか?
もし、自分がじっと見守られ続けていることに気づいてしまったら30代、40代あたりでは嬉しいのか恐いのか考えてしまう。

ただし、彼はひたすら待って、表に現れず、紳士的に静かにフェルミーナを見守り続けたので、彼女にとっては事実ストーカー被害とは違う。疑いようのない純愛に包まれ、ただただ見守られて来たのだから。

夫が亡くなったからと、いきなり登場するフロレンティーノに戸惑う彼女だが、「私はずっとあなたを見て来た」という彼にとっては一生供に歩いてきたのであり、他には伴侶はいないのであり、やっと求め続けた愛が成就することになる。しかも彼女に相応しい立派な(?女性遍歴の数を考えると本当に立派か考えてしまうが、精神的には純愛そのものであることは認めよう)魅力的な男として・・・。

社会的立場を確立しながらも、ひたすら彼女だけを思い続けるその姿は、"グレート・ギャツビー"を思わせる。
けれど、対象となる女性、フェルミーナのあり方は、ギャツビーのデイジーよりはずっと人間的で誇り高く、愛される女性像としては受け入れられる。

しかも悲劇ではなく、しっかりとしたたかに時間をたっぷりかけて(時間の観念が全く違うのが面白い、70歳を過ぎての巻き返しなのだから)思いを成し遂げているところが、南米らしくガルシア・マルケスらしく、生きる粘りとエネルギーがあっていい。

長編だが、いつか読んでみないといけないかな? いやいや、途中で沈没した"百年の孤独"が先だ。


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