2012年8月7日火曜日

『きっとここが帰る場所』 〜This must be the place

久しぶりのショーン・ペンの作品だ。

8月の1、2週は夏休み。学校が休みなので思いっきり気持ちが楽だ。
特に6、7日は全くのフリー。おばあさんの所へも行かなくてよいので、掃除もやめて久しぶりの休日を過ごした。来週はKzさんがお盆休みでいるので、私のフリータイムなどないのだから。

一日目はショッピング。
二日目は映画。

ショッピングに関しては情けないことに自分でデバートに洋服を買いに行くなどというのは数年ぶりのことだ。これでは女を捨ている。旅先で洋服を買うことはあったが、ここのところおばあさんの介護で旅にも行ってないから、皆無だ。
通販でTシャツがせいぜい。

ところが、新宿のデパートではもうほとんどセールが終わっていて、あってもろくなものが残っていない。しかも既に秋物がいかにもそれらしい雰囲気で並べてあって次の世界が展開していた。やれやれ、又機を逃した。お気に入りのどうしてももう一枚欲しかったパジャマだけ買って帰って来た。

今日は二日目の念願、映画!
これはもともと好きなので、フリータイムができるとできるだけ行くようにしている。でも、なかなか時間がない。

本当は渋谷まで行って、『屋根裏部屋のマリアたち』を観たいと思っていたが、あまりの暑さで、駅から文化村まで歩く勇気が出ず、隣の吉祥寺のバウスシアターで我慢した。
この映画館はなかなか良い映画を観せてくれるのでありがたい。

ところが、この我慢が大当たりで、素晴らしい映画だった。
まあ、この手の映画は賛否両論になると思うが、私には大当たり!

『きっとここが帰る場所』〜This must be the place〜

イタリアのパオロ・ソレンティーノ監督とショーン・ペンが作り上げた作品。
ハリウッド映画ではなくヨーロッパの深い苦悩と哲学的な香りとアメリカの泥臭さの解け合い方が素敵だ。でも、ただ観て楽しめる映画と違って、考えないといけないのでとても難解な映画だ。

「ショーン・ペン好き?」 と聞かれたら 
「別に・・」って答えると思う。
けれど、「彼ってすごい役者だと思うよ」と付け加えるだろう。

『ギター弾きの恋』にしろ、『ミスティック・リバー』にしろ、『アイ・アム・サム』にししろすごい! あれだけ個性が強い役をやってもわざとらしさを感じさせない役者さんなのだ。彼には彼の作り出す世界があるから。(私はロビン・ウイリアムスはわざとらしくて受け付けないのだ)

この作品での彼の演じるシャイアンという元ロックミュージシャンのメークとコスチュームと鬱っぽい雰囲気は冒頭の画像でも分かると思うが、隣で(至近距離で?)一緒に暮らしていたら、ちょっとゴメン、って感じだ。
しかし、それは最後のシーンに強烈につながるので、ずっと観なければならなくても仕方ない。

でも彼から発せられる言葉は、ちょっとした会話の一言であっても、自分の心で咀嚼した言葉が出て来るのでとても意味深いし面白い。英語の方を聞いていると本当に可笑しいのだ。何度か吹き出して笑ってしまった。

若い頃には思い込みが激しくて、言われた一言を自分の思った通りだと勝手に思い込み、それで人生が変わってしまったり、一生引きずることがよくある。(彼は父親に嫌われていると思いこみ30年も家を出たままだった)後になってみると、それはたんなる思い込みだったのかもしれないってことが・・・

この台詞は若くして家を出てしまったうちの娘にも言えるような気がして、理由は何であれ、帰る場所がないと勝手に思いこみながら外国で暮らしているのではないかと心配し続けてしまう親心が重なり、ずっきぃ〜〜ん!!!と来た。

自分に子供がいたら、子供を愛さない親などいないということにもっと早く気づいたのに・・・とスローな独特なしゃべり方でつぶやいていたショーン・ペンの横顔が印象的だった。意識の問題なのだと。

子供たちと一緒に観た『旅立ちのとき』の父親役をやったジャド・ハーシュの顔を観て郷愁を感じてしまったせいかもしれない。


奥さんのジェーン(フランシス・マクドーマンド)が素敵だった。何度か見てはいるのだけれど、、、なんて素敵な女優さんなのだろう。シャーロット・ランプリングのような中身の濃いたまらない存在感がある。彼女のたくましさと優しさと寛容さがシャイアンを現実につなぎとめていてくれる。何だか苦悩するKzさんに接する自分と重なった。

作品には人間が背負っている逃れられない苦悩や孤独に関して、たくさんのことが盛り込まれ、台詞の裏側や舞台装置や小物にも工夫の箇所がたくさんあるので、分かっている人がみたら「オー、オ〜!!」と思う所がいくつもあると思う。



美しい映像の映画だった。
素敵なミュージックと台詞・・・久しぶりに心で感じ取る映画、その人の持つ感性で観る映画の世界に浸ることができた。

[追記]
前述の最後のシーン、戻って来たシャイアンと近所のメアリのお母さん(毎日毎日二階の窓辺に座って通りを見下ろしながら一日中ずっと前に家を出て行ってしまった息子のトニーの帰りを待っている)と目が合って、死んだような目をした無表情のお母さんの顔が目力のある微笑みに変わる、その瞬間シャイアンが優しい目で「僕、大人になったよ。あなたも何かしてみようよ、ずっと思い込んでお篭もりばかりしていないで・・・」と無言のメッセージを送っているように感じるのだが、、、
これはかつて苦悩や孤独と戦ってお篭もりしたことのある人間には、そして変わろうと必死でもがいたことのある人間には、波のようなオーラが温かく体内にズンズンズンと染込んで来る瞬間だ。
エンディングの曲とともに。








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