2012年9月3日月曜日

映画まとめて8本〜その① 『アレクサンドリア』『幸せパズル』『ビューティフル』

スペイン語のお友達のAさんに3枚のDVDをお借りした。

『アレクサンドリア』



は、アレハンドロ・アメナバール監督の作品でレイチェル・ワイズ主演の大型映画だ。
ローマ帝国末期に信じられない高度な文化を持って栄えていたエジプトのアレクサンドリアという都市において、女性の天文学者のヒュパティアがその時代では信じられない生き方を貫く作品だ。
その崇高さと公平さと意志の強さと探究心の深さは、時代背景を考えるとひたすら『すごい!』としか言いようがない。

何だかジャンヌ・ダルクを観ているような気がした。
私は大型映画が好きではないので、友人に借りなければ観なかったと思う。『クレオパトラ』とか『サムソンとデリラ』『ベン・ハー』などの大スペクタクル作品は昔観てはいるが、自分の映画の好みとは違っているから。
しかし、『アザーズ』や『海を飛ぶ夢』のアメナバール監督の作品は大好きなのでその眼の持って行き方は素晴らしいと思う。


『幸せパズル』〜"Rompecabezas"



これは、2009年制作のアルゼンチン・フランス合作の私好みの小劇場向きの映画だった。
監督のナタリア・スミルノフは私にとっては初めてで、あまり彼女のことは知らない。

主人公のマリアはよくできた専業主婦、夫につくし、二人の男の子ももう子供ではなく自立の時を迎えている。そんな彼女の50歳の誕生日にもらったパズルが彼女を別の世界に運んで行くのだが・・・

普通の主婦が中年に達し、マンネリ化した自分の生活を顧みる事はとても大事なことで、人生の転機につながると思う。それが、パズルだろうがblogであろうが、写真であろうがキルトであろうが・・・自分が夢中になれるものを見つけ、楽しさを再発見するのはとても大事なことだ。

私自身も、上智や早稲田で語学や文学や映画の勉強を始めたのが40代後半に入った頃だったと思う。それがあるのとないのとでは、今の人生は全く違うものになっている。

マリアは結局は家族のもとに戻り、でも夫や子供たちを頼らずに自分の行動ができるようになった。冒頭のシーンのマリアと最後の田舎の土手みたいな所で一人で座り込み、生き生きと解放されたような表情でリンゴ(違うフルーツかもしれない)をかじっている様子は、とてもいい。
アルゼンチンと日本の女性の立場が似ているのか、妙にうなづけた。多分中年になっても女性が社会でもばりばり働いている国の女性が観てもどうってことがないかもしれないが、中年になって訪れる空虚感がある人々には何か響くだろう。


『ビューティフル』〜"Biutiful"


ハビエル・バルデムはやはりすごい!

これは2011年のメキシコ・スペインの映画だ。舞台はバルセロナ。何となく懐かしい風景がたくさん出て来る。監督は、『21グラム』や『バベル』のアレハンドロ・イリャニトゥ。かなりきつくて重い。

観ていて、「これでもか、これでもか〜」というほど重い。パトリシア先生とも話したが、本当に重い。画面も暗く、テーマも暗い。ハビエル演じるウルバスは悲惨そのもの。

けれど、彼がこの世に心残りのある死者の霊と交信できる事と、最初の雪の中で男(青年)とすれ違って、穏やかな顔をしてタバコに火を点け一服もらうシーンと、フクロウが死ぬ前に毛玉を吐き出すことと、母親の指輪を女性にあげることが、すごく印象に残り、あれはなんなのだ?と問い続けながら作品を見続けることになるのだが、最後に全部の意味がつながる。

指輪をもらう女性は、ウルバスの死ぬ直前で、「おばあさんの形見の指輪だよ」と言って託す自分の娘だったこと。それは、父親である自分のことも託すということだ。
雪の林の中で最初に出会った男性は、彼が顔も知らない、若い頃に亡命した自分の父親だったこと。
その時のウルバスがとても穏やかな気持ちのよい顔をしていたということは多分もうこの世に心残りはないということなのではないのだろうか?今の自分にできることはもうない。
ふくろうの毛玉はもう吐き出していて、死ぬ準備ができ、父と母のいる世界に戻って行ったのだろう・・・

それにしても、あれだけ抱えて生きるのは、本当に大変だ。心がすさんでくる。



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