2012年9月24日月曜日

松岡さんがここにも・・・うちのダンナ、超変人 〜loquisimo!

『梅ちゃん先生』の松岡さんは、変人扱いされていて、以前やったTV番組『結婚できない男』の阿部寛が演じた桑野さんも超変人で、二人は実に似ている。
と思ったら、同じ尾崎将也さんの脚本だ。私はこの人の作品が好きなのです。

どちらもその変人ぶりが実に誠実なので、思わずクスッと笑ってしまうような何とも憎めない、けれど近くにいたら迷惑だろうな?と感じさせる人々だ。

ところが、その変人ぶり、どうも慣れ親しんだ感じがすると思ったら、うちの旦那さまKzさんにそっくりなのだ。私はこんな変人と、結婚する前からも含めたら40年以上付きあってきたのだ。よくよく考えると、そのお陰で随分迷惑を被ってきた。だって私は極めて真面目で誠実な普通の人間なのだから。

最近、とても人生に疲れていて、本気で「私離婚しようかしら?」と考えていた時があった。Kzさんが抱えている問題が重すぎてしかもナガ〜くて、私まで疲れきってしまったのだ。もうこれ以上付合いきれない、少し離れたいと思って、時々サインを送っていた。

しかし、彼は全く気が付かない。

ある日、いたたまれなくなって、
「これ以上こんなに仏頂面の無言の毎日が続くなら、私は家を出て行きます。だって私影と暮らしているみたいですから気が変になりそうです」と言ったら、
「ソラさん、最近なんか脅迫じみたこと、よく言いますね」と来た。
「脅迫じみたことではなく、本気なのです。涙の訴えです。」と言っても全くピンと来ない。直訴の通じない代官を相手にしているみたいだ。

彼の思考の中には、そういう選択肢は全くもって存在しないのだ。つまり私は何が起きても『側にいるもの』と固定されているらしい。
一種の偏見、いわゆる思い込みなのだが・・・

今回の軽井沢は、自分の心を空っぽにしてぼんやりしたかった。
昨日は、ここ何ヶ月も二人で何処へも行ってないので、若い頃良く行った戸隠の奥社に行きたいと言い、、、一日だけの二人の夏休みだった。

アメリカでお世話になったサリバンご夫妻が日本にみえたとき、まだ生まれて間もない息子をエルシーが抱っこして娘の手を引いて歩いたのが最後だから、多分30年近く行ってなかったことになるだろうか?

何と、ここ数年パワースポットとかで、原宿並みの行列だと言うから、ガッカリだが、昨日は雨降りだったので、お陰さまで大分人出が押さえられていた。

何か心の清算ができたかというと、「???」甚だ疑問だ。

しかし、運転する彼の隣に座っていて、その奇癖というか、こだわりというか・・・例えば何件もGASスタンドがあるのに、みんな通り過ぎて、なかなか入ろうとしない。

「今のところにどうして入らなかったの?」と聞けば、
「あそこの会社のガソリンはなんだが薄いような気がして、嫌なのだ」と根拠もないことを平気で答える。
「次のは?」
「みすぼらしい」
「・・・」
以後聞くのを止めたが、多分一つ一つ入らない理由があったのだろう。
結局相場の高い軽井沢まで来て、入れた。

奥社で植物園の遊歩道に入ったら、雨だから人一人いない。
途中で「熊が出ます、目撃情報あり、注意!」なんて写真付きの標識があるから、向こう側でガサガサなんて音がすれば、恐くて、、、少しでも早く林を通り抜けたい私。
「どうして、こんな雨の日に奥社に来て、しかも誰もいない横道の林道に入るの?」と本気で怖がって急ぐ私に、暢気に「水芭蕉はこっちみたいだ」なんて今にも行きそうな気配。
私はハラハラしながら、人の居る所まで出て心からホッとしたのだけれど・・・
「今度は冬来よう!」と満足そうだ。冗談じゃないぜ。


後で、ほんとに恐かったのだと訴えた時
「えっ!?ソラさん本気で怖がっていたの?へえ〜〜、ソラさんでも恐いものあるんだ」と真剣に感心されたからたまらない。今までイノセントに彼の後を付いて行って、どんなに危なっかしい思いをしたことか。
そんなことは全くお構いなしで、私を何にも動じない豪傑だと思っている。これでも『女性』ですねん!

まるで松岡さんか阿部ちゃんと一緒にいるような、何だか動かしがたいものを感じて、そうかこの頑固さに家族全員がふり舞わされて来たのか?本人は全く罪悪感がなくて、変人なだけなのだ。と初めて気が付いた。

ご本人は、極めて自然体で生きているだけで、、、

私の人生観が変わった瞬間だった。



あのすごい雑草の海原をすっかりきれいに刈って、


更に、何だかわけの分からない灌漑設備を思い立ち、ご太いホースを通して・・・どうも苔庭を造ろうと思っているらしい。もう、あっちの世界だ。でも、無心で一生懸命なので許してやろう。

こういう人の頭の中は凡人には分からないから、相手は松岡さんや阿部ちゃんだと思って、放っておこう。
離婚はいつでもできるから、諦めの境地に達して受け入れて、私ももうすこし『いつも側に居る人』でいようと思う。今までと違うのは、決して『我慢しているのではない』ということ。

迷惑なのは子供たちだけど、いつか分かってくれるといいなと思う。

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