2012年9月11日火曜日

¡Qué agradable! 〜ha terminado la clase

"La casa de los espíritus"の映画のクラスが今日で終わった。
すごい迫力だった。同じ大作でも、こういう奥深い作品は大好きだ。
それに、ラテン系の作品ならではのマヒコの世界の面白さもふんだんだ。

私は、原書と、木村榮一さんの日本語訳の『精霊たちの家』とスペイン語の映画とスクリプトの四本立てで行ったが、本当に充実したクラスだった。

スクリプトから原書にある部分を拾って読み進めて行くと、映画のストーリーが出来上がる。ブランカとアルバがくっつき、ペドロとミゲルがくっついたが、決してもとの作品を損なうことなく、うまく仕上がっていた。

イサベル・アジェンデの処女作ということだが、そのスケールの大きさに改めて感動した。彼女の背後に実話があり、チリの歴史があり、大統領サルバドール・アジェンデの親族で亡命せざるをえない状況であったがゆえの苦しみの末に書けた作品だと思う。この作品は彼女以外には書けないのだから。

改革派が長年続いた保守派を倒し、アジェンデ政権が誕生し、その後クーデターでピノチェトに倒されるという、激動の時代だ。

エステバンは野心家で、自分の思う通りに生きてきたが、その強さの為に多くの罪を犯した。そしてその罪により生じた恨みから来る復讐の連鎖が、復讐心が復讐を産み、自分に返ってくるのではなく、家族や自分の周りの大切な人々に及び、それが孫の代まで続くという事実に直面する。

しかし、その間娘のブランカもやはり自分の生き方を貫く為に父親と対立し続ける。逆に考えると彼女の行動が同様に父親を苦しめているということにも通じる。

結局、家族を失い、権力を失ったエステバンは自分が犯した罪の大きさに気づき、心から悔い、苦しみ、娘をどうにか救ってあげたいとプライドを捨て頭を下げ、奔走することになる。
娘のブランカも精霊になった母のクラーラの助けを借りながら戦い抜き、父のせいで自分にふりかかった非常に痛ましい復讐の連鎖を勇気を持って断ち切るのだが、、、そう、誰かが勇気を持って恨む事をやめないと、一生戦いが続く事になる。

死ぬまで夫に口をきかなかったクラーラが、絶望のブランカに向かって「憎んではいけないわ、あなたのお父様は決して根っから悪い人間なのではなく、エネルギーがありすぎる(demasiada energía)だけなのよ。だから私は今でも愛しているのよ。」と言う場面が忘れられない。
メリル・ストリープのクラーラはとても素敵だ。特に精霊になってからの彼女の存在感は私たちの心まで包んでくれる。「死ぬということは、産まれることと同じなのだ」と。


"憎んではいけない" 、これは日常の小さなことでも同じだと思う。
私たちの心の中にチリの国家の小さくなった部分が存在しているのではないだろうか?

そしてみんな自分のところで、その "la cadena de venganza " (復讐の連鎖)を断ち切って行かねばならないのだと。だってブランカが受けた仕打ちに比べたら、自分の心の中での仕打ちはまだまだ打ち勝てるものかもしれないのだから・・・。

キャスティングは本当に見事だった。いや〜な人は、私の憎しみが移るくらい嫌でぞっとしたし、アルバの清楚さには心が浄化された。ペドロの父親は心から信頼できたし、クラーラとフェルーラには脱帽だ。
そして、エステバン役の、ジェレミー・アイアンズは若い頃の彼を見るとビックリしてひっくり返りそうになるほど見事に演じきった。

パトリシア先生、¡Muchas gracias!

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