2012年10月3日水曜日

『君 気持ちを 大きく もとう』 by  毎田周一

Kzさんが机の上に何気なく置いてあったこの本、思わず手に取ったら終わりまで読んでしまった。



宗教家だけあって、その文章には体温があり、風のように心の中に入り込んできた。そして、生命力を吹き込んできた。

毎田周一先生はKzさんの家には縁が深く、当然そこに嫁いだ私にも間接的に実に大きな影響を与えた人物だった。嫁ぎ先の空気そのものでした。

気になった作品を:(うん、うんと思ったり、本当に苦しい時に確かにこんなこと考えて抜け出したなあ〜と思ったり、真理だなあ・・・)


『もっともなこと』

人のことは人に任せておいて
君は君のやりたいことを
やってゆくのさ
闊達に 雄大に


『達人』

頭で考えたことを
本当のことだと思って
それに捉われて苦しむ
愚かなひとがいる

また考えて何かをするという
御苦労なひともいる
感じたらそこに自然に
することは出てくるのに

頭の一隅で考えたこと
それを観念論という
直観だけが生命の全体に
触れていることを知れ

自分の全体をすっかり
直観に任せてしまって
やってゆくひとをこそ
達人とは言うのだ−−


『他力自然』

自分で力を入れさえしなければ
物事は順調に運んでゆく
本当に自分の邪魔をするものは
この自分のほかにはない

自分で何もしないのに
どうして事が成就してゆくのか
自分の邪魔を取り除けば
他力が自然に働いてゆくからだ

自分で何もしなかった人 道元
只管打坐とは何もしないことだ
そして親鸞 念仏とはただ
如来の働きを仰ぐことのみだ

困難が起こったら そんなことを
相手にしないことだ
それにそっぽを向いて ただ
自分の好きなことをやってゆけ


『自由と平和』

むつかしい顔をすることは、少しも要らないのである。
いつもにこやかな顔をして、
すべての人に向かえばよいのである。

むつかしい顔をするのは、
ただその人の度量の小ささを語るのみである。
私はかくもケチな、チッポケな人間です、
というばかりである。
狭っ苦しい殻をかぶり、われとわが世界を縮めているような、
せっかく生まれてきた人生を、
いつもこせこせと、しみったれて生きているような、
小人ですと、告白するばかりである。

微笑は自由の象徴である。
一切を容れて世界とともにいきるものの歓びの象徴である。

平和は、この微笑から来る。

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*無意味な力が抜け、不思議なエネルギーが湧いてきます。


1 件のコメント:

  1. はじめまして。

    同じ本を昨日読みました。

    なかなか含蓄のある言葉ですね。

    自分らしく悠々と生きていけばいい。
    なんだか肩の荷が下りたような気がします。

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