2013年10月4日金曜日

『風立ちぬ』〜何だかもやもや

ちょうど時間が空いたので、これを逃すともう観る機会がなさそうなので、行って来た。

すごくいいという人と、共感できなかった人と結構バラバラなのだが・・・
「う〜〜ん・・・」



宮崎さんの作品は観た直後より、むしろ何年も経ってからとか何度か観た後でがーんとくることが多いので、今の感想はあまり当てにならないかもしれないが。
近くの席で父親と一緒に観ていた男の子が画面に釘付けにならなかったように・・・私も何回か時計の針を見た。

『千と千尋の〜』の時も「何だ、"オズの魔法使い"のパクリじゃん!背景は小金井公園の江戸たてもの園にそっくりだし」が観終わって最初に出た言葉だったから・・・まだ作品を読み込めてないのだろう。

この作品で宮崎さんは多分自分の描きたかったことを描いたのだと思う。
飛行機のこととたばこのことと自分の思う通りに生きること。それを淡々と描いたということだろうか。
『ナウシカ』、『ラピュタ』、『トトロ』などとはどこか目的が違ったのではないだろうか?

菜穂子は自分が死ぬことが分かっていて、その時まで一番したいことをしたかったのだと思う。つまり二郎の妻になることと、一緒にいること。自分の夢を実現させた。
けれど死期が近づいた時、自分のその姿を見せたくなくて、静かに去って行った。ある意味でとても自立した人間だが、奥ゆかしいとも自分勝手ともとれる。そこにはっきり自我が見える。

二郎も菜穂子の心がよく分かっていて、まるごと受け入れた。
けれど、わざとらしく全てを投げ打って献身的になるのでなく、飛行機に打ち込みむしろ淡々といつもの生活を普通にしてあげることで、彼女の心の負担を軽くしてあげ、死を受け入れた。ここにもはっきりとした自我が見えた。

多分菜穂子は自分の為に二郎が夢を捨てたり、何かを犠牲にしたりしたら、申し訳なくて病身の押し掛け女房はできなかっただろう。

何だか過酷なことを題材にしているのに、ドロドロ感がなく妙にさらりとしていて、二郎の感情があるのかないのか分からないような静けさが、妙に今風というか、不思議な印象を残した。

抱えている何かを心に秘めて、コツコツと一日一日を生き、10年間を自分の意志で生き抜くこと。
いつも風が吹いていること。
美の追求、ここで言う『美』、美しさとは何なのだろう?

最後までひっかかったのが、ピラミッドの話。
「ピラミッドのある世界と無い世界、どちらがいい?」という質問だ。
ある世界は何で、無い世界は何?を意味していたのだろう? あの会話だけではよく分からないが、何か重大なポイントがあるような気がする。だって、こんなに気になるのだから。これの解決には、もう少し時間が必要だ。

いずれにせよ、これが本当に最後の作品になってしまうのならば、人々はいつまでも好き勝手に謎解きをし、ああでもない、こうでもないと批評を楽しむことになるのだろう。

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