2016年2月29日月曜日

認知症の特徴〜圧迫骨折からの生還と老衰待ち

1月8日の圧迫骨折からあと少しで2ヶ月になります。
一時は全く食べ物、飲み物を受け付けなくなり、点滴で様子を見たものの、自力で食べないと延命措置になるということで、点滴も取りやめ・・・ついに老衰を待つのみになりました。

私は毎夜母が亡くなる悪夢にうなされて目が覚めました。

主治医からは、「できるだけお孫さんや、ひ孫さんとの時間を大切にしてもらい、楽しい静かな時を過ごさしてあげてください」と言われ、兄も私も死を受け入れる覚悟をしました。



その時の先生のお話では、「本当のギリギリに来て、いきなり食べ出す人もいらっしゃいます。」ということもあるらしいので、私はほぼ諦めながら、兄は「絶対にあきらめないぞ!」という堅固な意志を持って、せっせと食べ物を運び、どうにかひとかけらでも自力で食べ、スプーン一杯でも飲むと・・・何かが喉を通って欲しいと祈ったものです。

アイスクリーム、プリン、甘酒、シャーベット、スイートポテトにクッキー、お煎餅、チョコレート・・・何でもいいから、食べて!

一時はほんの5ミリ四方位の大きさの食べ物でも舌で出してしまい、飲み物もいらないの意思表示で、日々干からびてミイラのようにシワが濃くなってしまい、しかも体内に何も入らないのでどんどん体が小さくなって行く状態が続き、医師との面談で老衰を見守る覚悟した次第です。

幸い、圧迫骨折の痛みから解放され、本人は骨折のことも忘れているので助かりました。何か口に入れても、少し前に入れたことは忘れるので、初めてのような顔をしてお菓子やアイスクリームをすすめると、稀ですが口に入ることもありました。

サイマの施術で、エーテル体と尾骨と骨の修復、細胞再生などの音をかけてあげると、どんどん顔色が良くなって、元気が出てくるので、そのタイミングでお水を一杯!と繰り返し、骨折の方はかなり改善されました。

しかし、瀕死の状態で体力がなくなっているので、音波の調整にもエネルギーを使うので、あとから疲れが出る様子でした。ただし、明らかに効果があったので、様子を見ながら胃や腸や肝臓、腎臓の音などを足して続けました。

サイマの施術直後、車椅子で、ミイラ化した母をダイニングに連れて行った時、入居者の一人の方が、「ソラさんが来たらお元気になったじゃない!今日はとても顔つきがいいわよ」とおっしゃったのが印象的でした。施術師の資格を取っておいて本当に良かったと思いました。

最終的に薬をできる限りほとんどやめてもらい、特に痛み止めは頑固に主張してやめてもらったら、本当に少しずつですが、胃がものを受け入れるようになってきたのです。

しかも、胃が食物を受け付けないということで、ホームの食事がドロドロ食になってしまい、素材も何も分からない状態で、母の益々の拒絶が始まりました。母は歯ごたえのないものが大嫌いなので、「老衰を待つ身なので、食べなくてもいいから見た目で食欲が進むように何でもみなさんと同じように食べさせてあげてください、戻したり消化不良になっても結構ですから」と敢えて常食にしてもらいました。

今週は、お菓子を三かけら食べ、カルピスを50cc飲み・・と少しずつ喉を通り始めました。私から見ると、薬で胃腸、や食道がものを受け付けなくなったのだと思います。そしてものが入っていかないから腸も動かなくなり、内臓が働かなくなり・・・とにかく各機能がストップしてしまったので、そこを刺激してあげれば何らかの効果があるはずと思っての措置でした。

3月まではもたないと思っていたのですが、しげしげ通って母を笑わせ、水やカルピスを飲ませ、時々お菓子を口に突っ込んで・・・と毎日繰り返しています。時々息子にも顔を出してもらい、冗談をかまして・・・

兄夫婦も、孫やひ孫を連れてきたり・・・と、94歳のおばあちゃんに刺激を与えています。ホームに入ったばかりの時のように、家族みんなで力を合わせておばあちゃんを見守っています。

多分、圧迫骨折延長上の、『このまますぐにお迎えがくる』ことだけは避けられたような感じがします。(希望)

改めて、老衰の覚悟は続きますが、前述の状態とは少し残された者たちの心持ちが違うような気がするのです。
このまま行ったら、桜が見れるかもしれません。

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