2012年5月15日火曜日

『身体の言い分』 内田樹 池上六朗

このお二人の対談集を読んでいると、何だか妙にリラックスして、細かいことはどうでもいいような気になって来ます。

でも、お二人ともに『いやなものだけやめたら、チャンスは向こうからやって来るから・・・』とおっしゃるが、余程長いスパンでものを考えられる人でないと、やってくるまで待てなくて、普通の凡人にはそんなにうまくいかないのでは?と思ってしまう・・・だって、人生色々大変だもの。

ここのところ内田さんの本を読む機会がちょっと増えてしまったが、(健全なる肉体に狂気は宿る)、 家の中の本を手に取ると、どこにでもこの名前があるような気がする程、Kzさんがそろえていました。
Kzさんはレヴィナスなんかから入って行ったようですが、私は全く家の中のそこらへんの本を取っただけで・・・タイトルを見て、身体のことなどが書いてあるから読んだ、そしたら内田さんの本だったというだけだ。

この本は最近読んだ安保さんの本 にも通じるものがあって、私は『自分が気持ちよく生きて行くことが、よい空気を生み出し、回りも気持ちよい空気で包み、みんなが心地よくなり気持ち良く生きることができる。そして、この気持ち良く生きることが、個人差はあるだろうが、その人のレベルにちょうどよい健康状態でいられる』という感じでとらえたが・・・

内田さんが気に入っておられる中村天風氏の『七戒』:
怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな(言われても言い返すな)、取り越し苦労をするな


これは、京都のどこかのお寺の入り口にあったあった十善戒というのにも共通しているし、

前述の安保さんのお考えにも共通した部分が随分あるので、人間の生きる基本姿勢なのだろう。
本当にこれさえ守れれば、気持ち良く生きて行けるのかもしれない。

"取り越し苦労"に関しては、『健全なる〜』を読んだ時にも共感し、私は実行しているが、Kzさんのまわりは取り越し苦労の堅牢な城壁に囲まれていて、強制的にせざるをえない状態で、お気の毒だ。
その中で、どのように"comodo"な空気を作っていくか・・・のんびり見守って行きましょう!

池上六朗さんは初めて知った方で、『三軸修正法』というものがどういうものなのかまだよく分かりませんが、興味深いです。"痛い"ということはとても大事なことで、身体の声を聞きなさい、そして無理に人工的に治そうとしないで、よくよく身体の声に耳を傾け、受け入れながらやっていきなさいと・・・

それから、ふっと思う瞬間を大事にしなさいと。それが前述のチャンスとも関係するもので、ふっとやって来る思いに身をゆだねることがチャンスとの出会いの時のようだ。その感度があるかないか?が大きな違いだろう。

この、ふっ、なのだが、私は結構そんな感じで生きて来た。
しかし、チャンスがこちらに向かってやってきたかはわからないが・・・
ふっと思い立って、早稲田で文学の勉強を始めた。
ふっと思い立って、上智で仏語をやり始め、ふっと思い立ってフランスへ一人旅をした。
これは人生の大きな転換点になった。

ふっと思い立って、スペイン語を始めた、青山先生のアメリカ短編の世界入った。
病気でいつ死ぬか分からないからとスペインへ短期留学に行かせてもらった。
人がしてくれるのを待っていられないから、全部一人でやった。

そして、ひとつふっと思ったことをやる度に、何か自分をがんじがらめにしていた、束縛のようなものが一枚一枚剥ぎ取られていくような気がした。それは意識だけかもしれないし、実際の行動から得られた解放感かもしれない。
みんなじっくり考えたことではなくて、ある日ふっと湧き出て来たものだった。

もしかしたら、そんなこんなでやってきたことが、何となく一つの道になってそのcaminoは死ぬ時になって、ああここに向かっていたの?なんて感じで、どこかに通じているかもしれない。

だから、これからもふっと思ったら動いてみよう。
ふっと思って離婚してしまったりして・・・??

まあ、この対談のお二人は「自分のために良いように全てを処理するといい、すると結果的にいい人でいられる。すると自然と自分も含めてみんなが気持ちよくいられる」とおっしゃるのだが・・・


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