2015年2月22日日曜日

黄斑円孔手術その⑥ 〜奇跡だ〜、硝子体が網膜から離れた!!

今回の黄斑円孔に関して以下のことを書いてきました

1.加齢性黄斑変性だと思ったら硝子体黄斑牽引症候群だった 
2.黄斑円孔〜不思議な世界 
3.黄斑円孔手術その① 入院、手術、そしてうつ伏せ開始
4.黄斑円孔手術その② これからが本番、うつ伏せ地獄!
5.黄斑円孔手術その③ 退院後、視界と生活
6. 黄斑円孔手術その④ 術後1ヶ月半視力
7.黄斑円孔手術その⑤ 〜退院後2ヶ月検診、反対側の目も手術が必要!!
8. その⑥
9. 黄斑円孔手術その⑦ 〜一年後の様子
10. 黄斑円孔手術その⑧ 〜手術後2年目
11.黄斑円孔手術その⑨ 〜術後2年半
12.黄斑円孔手術その後、 網膜剥離手術① 〜裂孔原生網膜剥離になってしまった!
13. 黄斑円孔手術その後、 網膜剥離手術② 〜原因
14. 黄斑円孔手術その後、網膜剥離手術③ 〜術後1ヶ月以内の様子
15.網膜剥離再手術① 〜手術後1か月で再発!! 悪夢の日々


今回は8回目で、その⑥です。

前回の検診で、4月までに左眼の手術の申し込みをするかを決めないといけないということで、色々悩みましたがほぼ覚悟を決めていました。
手術をする覚悟をしていたら、あらあら・・・・



というのも、どうも視界が不安定で、手術をした右眼は少しずつ改善してきているような気はするのですが、よく見えていた左眼がかなり右に追いついて来て、視力が落ち、歪みが増し、しかも視界の真ん中がどうも左右に引っ張られて網膜が薄くなって来ているらしく黄色味帯びた円ができ、霞んできました。(右眼の時はこの円がいつの間にか黒く大きくなって、ど真ん中に穴が開きほんの1〜2ヶ月程の間に全てが摘まみ上げてすぼんだような世界になってしまったのです)

一度経験している私は、『破れるのも時間の問題かな?』と毎日、今日穴が開くのではという恐怖を感じていました。

起床時、黄斑変性症の碁盤の目のチェックシートを使って、眼の歪みの変化を調べ、視力検査をし、おきまりの額縁をじっと見つめその見え方の違いを調べる日課になっています。

悪化した時は、額縁に瘤ができました。縦のラインが波打っているのですが、一部が大きく隆起し、まるで瘤のようになっているのです。右上の角が一番出っ張っていました。長方形の額縁は上の辺の方が長い台形になり、右上が著しく上がって辺の長さも左に比べると随分長かったです。

この歪みは退院してから毎日チェックしていたので、その変化が一番よく分かりました。何が私の薄い網膜に影響を与えているのか? 電磁波?振動?加齢?体質?天気?ストレス・・・
とても知りたかったからです。

ある日急に、左眼で見た鏡の中の自分の左目が、くりぬかれました。右眼で見ると右目はちゃんと瞳部分まであります。
ギャー始まった! 右眼の手術前、鏡の中の自分の右の目玉が見えなくなってからの進行がとても速かったのです。

焦りました、どうにか4月の検診まで穴が開かずに持って欲しいと、、、

水分の多い硝子体が萎縮して起きる病気だから、水分は多く取った方が良いだろうと思い良質の水をたくさん飲みました。

当時主人が研究していたアーシングが良いかもしれないと言われ、どうせ手術するのだから、変な影響を受けてもいいか!と思ってここのところ毎日最低15分から30分ほど、水をゴクゴク飲みながら左右のこめかみにパッチを二つ貼って10日程試しました。これは目がすっきりし、体内の電磁波が消えて行くような、静電気が感じなくなるような気持ちよさを感じました。

水素水にルテインに、、、眼が疲れたら無理をせずに眼を休める、時間に追い回されずにできるだけ心がけてのんびり過ごす。無理をしない・・・

母の介護は別として、私にしては、無理をしないで少しのんびり過ごしました。

こうして、はっきり覚悟する前に、疑問点をはっきりさせるために、K病院の手術前にかかっていた先生の所へセカンドオピニオンを聞きに伺おうと、昨日行って来たのです。

病状を説明し、検査をしていただき、4月の手術について悩んでいることを相談しました。
すると、先生はCTの画像を見ながら「硝子体が網膜から離れていますよ。こういうことはまれに起きるんです。ラッキーでしたね。あのうつ伏せをもう一度するのは、本当に大変だから」
と涼しいお顔でちょっと嬉しそうに説明して下さいました。

確かに硝子体の縁のラインが、まるでオーロラのカーテンのように、軽そうに宙に浮いています。以前の画像は窮屈そうにペッタリと網膜にくっいて、網膜を引っ張り上げているのに、この日の画像はいかにも自由で、解放された喜びにひらひら揺れているみたいに見えました。

私は、普段とても冷静な方で滅多に慌てないのですが、まさに『アッケにとられた』顔で、まじこんなに驚いたことはありませんでした。
そして、「本当ですか〜!?」とあまりにも月並みな台詞を吐いた次第です。
「もう、手術しなくていいんですね」

こうして、この騒動は思いがけない結末を迎えました。

ここの所の視界の不安定さは、もしかしたら網膜から剥がれる過程だったのかもしれません。目に起きている現象は自分の目で見えるから確かなのですが、否定できないので困ります。

そう言えば、3日程前から、額縁の瘤が小さくなって緩やかな曲線になっていたのに気が付きました。プラス思考が出来ないときだったので、多分一時的現象でよく眠ったからだろうと思っていました。

昨日病院へ行く時も、電信柱がどうして手術した右目の方が波打ってギザギザなの?いつもは左がゆらゆらしているのに?と思いました。病院の待合室に貼ってある黄斑変性症のチェックポスターも、「あれ?左眼少し波打っているだけだ、手術してからは右の方がずっと真っ直ぐだったのに・・・変だなあ?」
と思いました。

多分3日程前に、分離が完了したのではないかと思います。

黄斑円孔を通して、見えている世界がその通りではないことを知りました。
同じ世界が黄斑部分の針でつついたほどの小さな小さな穴のせいであんなにも歪んで破壊された世界になってしまうこの経験、失明してしまうかもしれないという恐怖は、私にとても深い大事なことを教えてくれているのだと思います。

そして、絶望的だと思っていた私が、いきなり『網膜が硝子体から剥がれた』という事実に直面したこの戸惑いと喜びが、誰かに見守られているような暖かいベールに包まれた瞬間であり、ここでもこれから生きて行く上で大切な事を教えてもらいました。

さて、思いがけない結末を迎え『生きる』ことを考え直しています。

ただ、1月の検診の時に、自分でも分からない不思議な力が加わって、いつの間にか「あと3ヶ月待って下さい」と確信を持って言っていた自分が不思議で、何かに導かれているような気がしないでもないのです。

四月の初めにK病院の検診が最終チェックになります。
もし、本当に離れていて本元の先生からOKが出たら、万々歳! あとは手術した右目が徐々に回復するのを明るい気持ちで気長に待つばかりです。

まだ、数字の3,5,6,8,9の区別がうまく出来ないのと、アルファベットのa,c,e,oが同じに見えてしまうので、半年後(術後一年)には少しでも識別できるようになれたらいいな〜と密かに思っています。

2 件のコメント:

  1. 同じ硝子体網膜牽引症で手術予定です。k病院ってko病院のことですか?病院の評判を調べるのも良し悪しかも…とっても不安です。

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    1. 病院の実名を明かして良いものか疑問ですが、koではなくkyorinです。手術がうまくいくように祈っています。

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