2014年11月17日月曜日

黄斑円孔手術 その① 〜入院、手術、そしてうつ伏せ開始

今回の黄斑円孔に関して以下のことを書いてきました

1.加齢性黄斑変性だと思ったら硝子体黄斑牽引症候群だった 
2.黄斑円孔〜不思議な世界 
3.黄斑円孔手術その① 入院、手術、そしてうつ伏せ開始
4.黄斑円孔手術その② これからが本番、うつ伏せ地獄!
5.黄斑円孔手術その③ 退院後、視界と生活
6. 黄斑円孔手術その④ 術後1ヶ月半視力
7.黄斑円孔手術その⑤ 〜退院後2ヶ月検診、反対側の目も手術が必要!!
8. 黄斑円孔手術その⑥ 〜奇跡だ〜、硝子体が網膜から離れた!!
9. 黄斑円孔手術その⑦ 〜一年後の様子
10. 黄斑円孔手術その⑧ 〜手術後2年目の様子
11. 黄斑円孔手術その⑨ 〜術後2年半
12.黄斑円孔手術その後、 網膜剥離手術① 〜裂孔原生網膜剥離になってしまった!
13. 黄斑円孔手術その後、 網膜剥離手術② 〜原因
14. 黄斑円孔手術その後、網膜剥離手術③ 〜術後1ヶ月以内の様子
15.網膜剥離再手術① 〜手術後1か月で再発!! 悪夢の日々

16.黄斑円孔その後、反対側の目の網膜剥離再手術② 〜再手術後1ヶ月、シリコンスポンジとシリコンオイル

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今回はシリーズ3回目です。
黄斑円孔の手術をして3週間が過ぎようとしています。

やっとパソコンの画面を少し見れるようになりましたので、記憶が新しいうちに手術の経過を書いておこうと思います。どうしてかというと、まだあまりこの病気について書いている人がいないので、いろいろ経過を知っておきたくても情報量が少なくて困ったからです。多分何らかの役には立つと思います。



テレビの画面は、頭を上げて良くなってからの初めのうちは5分程で眼を開いていられないほどに疲れましたが、今は1時間くらい持つようになりました。何しろこのドラマ好きが、ビデオに撮っておいたお気に入りのドラマさえも10分で眼が痛くなって観ていられなかったのだから随分改善されました。

では、入院と手術の経過を書いておきます。
私は、こんなや、このような経過があり、手術をすることになりました。

病院も混んでいて、なかなかベッドが空かず、7月頃に比べると症状もかなり悪化して進んでいたので、気が気ではありませんでした。
おまけに、今回は右目の黄斑円孔ですが、同時に左目も同じ病気が進行しているので、その為にも右目をきっちり治しておかないとマジ困ることになるのですから。

10月27日、K病院に入院。
硝子体手術では一番症例数が多いし、専門家も居るので大丈夫だと言われながらも、緊張感が漂いました。
バスガイドツアーのように当日入院の患者さんたちへの説明や検査があり、術後のうつ伏せの仕方の冊子なども見ておくようにと言われました。
又、数々の手術のための同意書にサインをしました。これにサインをする時は、『まれにこういうこともある〜』などと書かれた項目を読むと、5%の副作用でもあたってしまう私には少々不安も残り、本当にサインして大丈夫かしら?と思ったものです。

この手術をした人は、100%白内障になるということで、当然のように「白内障の手術も一緒にします」と言われました。選択の余地はないようです。

暫く洗顔や洗髪ができないので、夜はしっかりシャワーでシャンプーをして、9時半頃にはぐっすり寝てしまいました。

28日手術。
私は2番目の手術なので、多分10時頃からスタンバイになるのでは?と言われていましたが、当日何がおきるかわからないので、幅をみておくようにということでした。
予定通りの時間に車いすが迎えにきました。外来の患者さんが多数居る中を手術室まで車椅子を押されて通過するのは、自分が見せ物になっているようで嫌でした。

実は朝食で牛乳が1パック(200ml) 出て、何の疑問もなくうっかり飲んでしまいました。
するとお腹が緩くなって・・・朝から4回程下痢を繰り返してしまいました。私は牛乳やクリームに過敏症だったのです。
このまま手術まで止まらなかったらどうしよう??と思いながら持って来ていたビオフェルミンを5錠ほど飲んで、深呼吸で呼吸を整えましたが、ぎりぎりセーフ。
下痢で手術を台無しにすることは避けることができました。何しろ眼なので動けないから、「いたたた〜〜〜」なんてくの字になるわけに行きません。

手術室では、本人確認と、「とにかく、やられるままに全て預けなさい」と麻酔の先生に言われ、いきなり部分麻酔をぶすっと眼のふちに打たれました。「いてっ!!」思わず言ってしまった。手早すぎて抵抗する間がなかったけれど、あれは結構痛いです。

手術が始まってからは、眼は覆われてしまいますが、意識はあるので色々分かります。研ぎ澄まされたツトム・ヤマシタのサヌカイトの音のような癒し系のバック音楽が流れっぱなしで、そのメロディーと落ち着いた先生の声を聞きながらひたすら深呼吸を繰り返す私。

とにかく「されるままに」

まあ、平常通りに手術終了。

硝子体の手術でガスを入れた場合、原則うつ伏せ(地面と平行の下向き)で過ごさないといけません。ガスは上に行く性質があるので、硝子体からはぎ取った網膜がガスによって押されて固定され黄斑部分で正常な位置に戻ってくれるのです。

「手術より、むしろこれからの『うつ伏せ』が勝負ですよ!頑張ってください」先生にそう言われました。無口な先生からの一言、これは「頑張らなくっちゃ!!」と真剣に受け止めざるをえません。

手術室前で深く頭を下げたまま、暫く待たされて居る間。次々と手術の患者さんが車椅子で入って来られるので、何か自分が流れ作業のベルトに乗っているような感じがしました。
再び外来の患者でごった返す待合室を体を二つに折ったまま自分のおヘソ辺りを見ながら通り抜けて、部屋に戻る。11時27分。
Kzさんが待ってくれていて、それから手術着から着替えてひたすらうつ伏せ開始。

ベッドの上に、野球のアンパイヤの胸当てみたいなクッションを置き、頭の部分にはUの字型の枕を二段にして置き、その中に顔をすっぽり埋めて固定する。横を向いてしまったら意味がないので、ひたすら真下を左目でシーツの繊維を見ていることになります。
鼻の部分が空くのでどうにか呼吸ができるし、顔は固定されてしまうので、確かに後頭部が地面と平行になっています。
胸当てクッションで体がベッドより少し浮くので面かぶりのクロールをしているみたいな姿勢だ。最短1時間は絶対に動いてはいけない。絶対安静。

1時近くになって、昼食を食べて良いお許しが出たので、トイレに行き、肉うどんとおひたし、フルーツの昼食を食べる。この時だけは顔を上げられるので、泳いでいて水面に顔をあげてプハーッと呼吸した気分。
うつ伏せするのみなので、顔も見れないし話すと顔を上げたくなるので、kzさん退室。

さて、これからが食事とトイレと点眼以外は、ひたすら頭を動かせない、真下を向いたうつ伏せの日々が延々2週間続くことになります。
トイレと食事の時だけは顔を上げられるので至福の時〜、暇で退屈で大変なのではと思っていたけれど、とんでもない!自分の体をうつ伏せでキープする仕事だけでやっとです。テレビも本も、あってもあり得ないのです。

筋肉痛、腰痛との戦いも加わって・・・これからが勝負!!

眼が疲れたので、今日はここまで。


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